
初めまして。
Yasko(やすこ)と申します。
絵描き・グラフィックデザイナーで、ちびっ子ライダー・たまにサーファー・隠れ(この時点で隠れてない)オタク、たまに(これは本当にたまに)主婦・二児の母…など、趣味と欲望にあふれた人生を送っております。
年々雪だるま式に趣味が増えておりますが、軸は絵描きのバイク乗りです。
主に自作でパネルを作り、ベニヤの下地塗りをし、布や砂や金の粉、メタルや油紙など、色々とコラージュして、アクリル板と油絵の具で描き込んでいく「Mixed Media Artist(ミスクド・メディア・アーティスト)」です。
アーティストとかそんなのくすぐったい…感じではありますが、海外で名乗るときはArtistと堂々と言い張ります。
弱肉強食の世界で売り込みをしてきた結果、負けから学び、たとえ文法が間違えていても「とりあえず発言してしまえ」精神が身につきました。
今ではインド人とお笑い漫才レベルのスピードで英会話しますが、中学生の時の英語の成績は「2」です。
オマケで「2」…です。
外人相手に負けたくない気持ちと、インタビューウィズバンパイアの続編が読みたいオタク心と、メキシコで受けた祖母の治療のため、必要に迫られて英語力がつきました。
大型バイクに乗って、東京から伊勢神宮、または横浜から輪島まですっ飛んで行ったりします。
でも身長は144センチしかありません。
色々と、本当に色々と工夫しております。
絵はずーっと描いています。
油絵は20数年ぐらいで、具象画も抽象画も描きます。
水彩、アクリル、パステル、ペン画…どれも友達レベルで親しいですが、テンペラ画はまだ未知の世界です。
70歳になったら手を出してみようと思います。
近年キャンプにハマりまして。
1人ぼけっとしながら焚き火を眺め、思いついたままスケッチする…。
そんなひとり時間が最高に贅沢だと気付きました。
そんな感じで……つまり「Yasko」ってどんな奴? をご紹介します。
Contents
まずは簡単な生い立ちから家出まで。
昭和生まれ、東京の東の端っこ生まれ。ひとりっ子。
祖母と、血の繋がらない祖父に育てられました。
子供時代は何不自由なく…いや、実の親のあたりだけがよろしくありませんでしが、大好きな祖父母に育てられたので何も文句はありません。
ちなみに異母兄弟と異父兄弟が6〜7人います。
(未確認含めるともう少しいそうです)
ちなみに全てそれぞれ異母で異父です。
(カップリングのカブり無し! ワオっ!)
聖闘士星矢の城戸ファミリーみたいですね。
(↑この辺の感じで実親がどんな人となりなのか察していただければ…(^^;))
絵は、気づいた時には描いていました。
今と違い、内向的…というか、とにかく集中しちゃうと周りが一切見えなくなるタイプの傍迷惑な子供だったらしいです。
だからよく迷子になったんでしょうね…。
それで静かかと言えばそうでもなく、ひとり言をぶつぶつしながら絵を描いているという…そこは別に今も変わりません。
それでそのままスクスクとぬくぬく育ったかと思いきや、小学校3年生の時に人生最初の転機が訪れます。
実母が再婚したので、引き取られて一緒に暮らすことになりました。
義理の父はとてもいい人で、実家の青森のリンゴ園からリンゴや、ねぶたの写真がついたジュースをよく送ってもらって、これが激ウマで大ファンになりました。
転校先で友達もでき、いじめにあったり虐待を受けたわけでもないんですが。
ちょうど1年経った夏休み最終日
家出をしました。
千葉県からバスと電車を乗り継いで、祖母の家に帰ってきてしまったんですね。
無理やり。
子供心に覚えているのは、足りない乗車賃をまけてくれたバスの運転手さんと、怒り狂って迎えにきた実母に向かって「自分の居場所は自分で決める!」と偉そうなこと言い返して往復ビンタを食らったことです。
なんとしてでも連れ帰ろうとする実母に対抗し、泣き喚いてゲロを吐いてやったら引き下がりました。
たぶん実母とは魂レベルで合わないんでしょう。
このあと20年後に、また約1年ほど一緒に暮らすことになりますが、大人として大人の対応を取れるようになってもやっぱり揉めましたから。
祖母と2人(+にゃんこ1)の、女子会のような暮らし
家出からの強制立てこもりを経て、ついに私は祖母と養子縁組をすることになり、晴れて正式に「祖母の子供」になります。
中学生の時に祖父が亡くなり、喪失感に打ちしがれる祖母を慰めつつ…ではなく、喪が明けたら“男の目線がないことの開放感”に気づいてしまった祖母がやりたい放題始めました。
「もうスカート履かない!」から始まり、
「もうご飯も作らない!」に続き、(いやいや元々ほとんど家事はしませんでしたよね?)
「ピアスしたいから穴開ける!」までハッチャけます(このとき確か68歳)。
晩年は一緒にアメリカだヨーロッパだって旅行もしまくりました。
私が18歳の時に祖母が大腸ガンを罹患し、再発後、日本で余命半年宣言をされてから、メキシコの病院まで治療に行き5年半生き延びました。
すごい人でした。
この人がいなくなったら死ぬだろうと思ってた
祖母の亡くなった日、一緒にメキシコまで行っていた叔母と幼馴染の姉ちゃんと、泣きじゃくりながらモーテルの部屋で17時間ぐらいビールを飲み続けました。
火葬されるまで安置されていた教会の静かさや、渡された骨壷がオレンジのラメの薔薇のレリーフ付きで流石に涙が止まったことや、滅多に雨の降らない地域で降ったお天気雨と夕日のコントラストとか、
一生忘れられない光景です。
(日本に帰ってきてから、埋葬許可書を翻訳するのが大変でしたよ。なんてたってスペイン語と英語で書いてありましたからね!)
ところで当時は、祖母が死んだら後追い自殺するつもりでいました。
この人がいなくなったら生きていけないだろうな…と思っていましたから。
ところがどっこい、一日ふつか、1週間と、
「お墓に入れてあげなきゃ」とか
「お葬式やるから連絡先探せー!」とか、
「え? 形見分け? ママが勝手に売っちゃったよ!」
とかやってるうちに時が過ぎ、気づけば生き残っている訳です。
そうなんです。祖母がいなくても生きて呼吸してご飯食べられるんです。
25歳、就職と、海外ギャラリーデビュー!
さて、遂にここから一人暮らし。
正確には1人と猫1匹の同居スタート。
就職もしました。
(この時代スーパー貧乏だったので、お米だけは死守して、うまい棒を砕いてふりかけにしてご飯食べてました・笑)
イラスト系の専門学校を卒業した後は、なんということでしょう、いきなりフリーランスになって祖母の脛をかじって暮らしていた訳ですが、1人になってしまった以上もう甘えられず、デザイン会社に就職させていただきました。
この会社で約5年ほどお世話になり、デザインのことや絵のことなど、たくさんのことを勉強しました。
グラフィックデザインの、特に「文字詰め」の綺麗さに目覚めたのもこの会社のおかげです。
この会社の社長さんがご自身もアートをやる方で、
「海外で展覧会をやってみたいんだけど、どうにかして!」と言われ、
ここから『海外のギャラリーへの売り込み作戦』が始まるのです。

結果、社長と私は、それぞれニューヨークのギャラリーで展覧会を開催しました。
今はなきソーホーの“OK Harris”というギャラリーに、作品集片手にアポも取らず突撃営業をかけた私。
クソ度胸だけはあったんだなーと思います(^^;)
新しい分野への挑戦
その後、結婚→出産を機に退社するんですが、
この機に独立を図ります!
(大人しくしない妊婦でした)
「そうだ、どうせなら出版やりたい…」 と、前々から興味のあった本や雑誌のレイアウトをする、エディトリアル業界に殴り込みをかけます!
もちろん紆余曲折と言う名の
「エディトリアルの実績ないからダメ」&「え、妊婦でしょ?(何言ってんの?)」を経て、とある編集プロダクションからお仕事をいただくことになりました。
ていうか再就職しました。
「おいおい、出産どうした?」とお思いでしょうね。
ええ、陣痛始まる直前まで自宅で仕事をし、出産後2週間で仕事再開しましたよ。(全然おすすめしません)
まさに本物の乳飲み子を義理の母に託し、朝から晩まで…夜中まで(帰宅はタクシー)、仕事に明け暮れた訳なんですが、ふとある夜、家で並んでスヤスヤと寝ている我が子と旦那を見て、
「あれ? もしかして人生のハイライト見逃してる?」
という気持ちになり会社を辞めました!
個人事業主として、絵画制作とグラフィックデザインの制作を主に屋号を取得
幸運なことに、この時培った濃ゆ~い経験と人脈のおかげで、独立やり直してから継続的にお仕事をいただいております。
さすがにこの時期は絵を描く暇も気力もなく、ブランクの1年半ぐらいが過ぎましたが。
だからこそぶり返しが来たんでしょうか。
グラフィックデザイナーとして独立してから、
- 好きなタイミングで絵が描ける
- 服が汚れていても怒られない
- なんなら夜中に思いついて描いても次の日昼寝すりゃいいや♫
と、やりたい放題です。
ただここ数年、比重が仕事に傾きすぎてバランスを崩しました。
上のやりたい放題が全部仕事に置き換わってしまい、
- いつまでも仕事してる
- パジャマのまま仕事してる
- 夜中まで仕事してるから次の日ずーっと眠い。
になってしまってました(汗)
こりゃいかん! と自分を見つめ直し、原点回帰して絵に重心を置いています。
『なぜ絵を描くのか?』
と聞かれることがあります。
「結婚して子供もいて、なのにまだ描いてるの?」
…と。
絵を描く意味は、自分にはまだ結論は出せません。
そもそも自分の立ち位置が変わっても、そんな簡単にやめるつもりもないし、やめるというイメージが湧きません。
言い切ることができる日が来るのかわかりませんが、今はとにかく「描く」ということが好きで描いています。
描いてさえいればいいのかっていうとそうでもなくて好き嫌いありますが、
でも、よくよく考えてみたら嫌いなピーマンも描きますね。
どうやら描いていればいいみたいです。
このように、自分自身をプロファイリングする気持ちも込めて、ブログも始めました。
ブログを通して見つめ直す過程で、これを読む誰かにどこかで共感していただけたら、何かひとつでも「読んでよかった!」と思える気持ちを持っていただけたら、それはとても嬉しいことです。
好き勝手やっているように見えますが、それなりに色々工夫したりして生きております。
そんな私の世界をおすそ分けして、お役に立てれば幸いです。
長くなりましたが、最後にまた改めて。
初めまして。どうぞよろしくお願いいたします。
「Yasko」の追加情報
チビなんです(泣)144㎝ですが、趣味で大型バイク乗ってます(^^)
HONDA/VT400s → Kawasaki/ER-6f もちろんちゃんと、中免も大型も教習所を卒業してますよ!w
今回2台目にしてフルカウル車のERを、初のローダウンいたしました♪
乗りやすさ抜群になりましたよ〜♪
全世界のちびっ子ライダーに夢と希望もお届けしたい!
ローダウンしても相変わらず、靴の中敷きを工夫してエンジニアブーツ履いて乗ってます(^^)
信号待ちの度に隣の車からガン見されますwww